感動の説明はいらない

先日、ひっさびさにフェスの現場へ行った。

夜になると少しひんやりした空気が気持ちいい。

毎年思うけど、夏の野外フェスは暑さとの戦いでもある。

みんなこの時期にやればいいのに、なんて思う。

もちろんフジロックは別だけど。

そんな中、大トリのステージを観ていた。

最初は後ろの方で観ていたのに、気づいたら前の方へ。

涙が出そうになって、タオルも持っていなかったから、ごまかすように踊って、大声で歌った。

それくらい心を動かされた。

だからこそ、終演後に少しだけ思ったことがある。

私は昔から、感動の説明があまり得意ではない。

「ここが良かったですよね」

「こんな意味があるんですよ」

そう教えてもらうのも悪くない。

でも本当は、自分で感じたい。

どこに心が動いたのか。

なぜ涙が出そうになったのか。

それは観た人それぞれで違っていいと思う。

エンターテインメントは、観る人のものでもあるから。

同じステージを観ても、感動した場所は人によって違う。

歌だった人もいる。

演奏だった人もいる。

照明だった人もいるかもしれない。

だから私は、その余白が好きだ。

「ここがすごかった」と答えをもらうより、

自分の中で見つけたい。

それがライブでも、映画でも、プロレスでも同じだ。

感動した理由をうまく言葉にできないこともある。

でも、それでいい。

むしろ言葉にできないからこそ残るものもある。

そんなことを思った夜だった。

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